奉仕
2007年 12月 16日
北米の履歴書には労働経験はもちろんだが、ボランティア活動の経験も労働経験同様にとても価値の高いものとして取り扱われる。それだけではなく、ボランティア活動からそのまま就職へ繋がるというケースも少なくない。
日本でボランティアというといわゆる「社会的弱者」にたいする活動のことを指すことがほとんどだと思うが、北米では、普通の仕事場に「ボランティア」として働いてる人がいる。ボランティアといっても仕事の内容は社員と変わらなかったりすることも珍しくないようだ。
ワタシが利用してるエージェントさんでもボランティアの斡旋をしているのだが、驚いたことにボランティアをするのにお金を払うのである。タダで参加できるボランティアもないわけではないが、病院や施設のボランティアの場合、患者や職員と接触することなくひたすら皿洗いとか洗濯、掃除をするということが多いのだそうだ。「ボランティアワーク」=「経験値を積む」とみなされているからなんだと思うが、日本人にとっては考えにくい発想だよな・・・。なんでタダ働きするのにお金払うんじゃ~!とワタシも思ったもん。
さて、以前通っていた医療英語のコースで一緒だった子がボランティアをはじめたのだ。彼女は日本で薬剤師をしていた、とのことで、薬局でボランティアワークをしている。昨日が初日だったらしい。
この医療英語の学校のカウンセラーがクセモノだという話は以前も取り上げたが、彼女もこのボランティアワークを紹介してもらうまでに相当このカウンセラーともめたらしい。
彼女はこの学校に7か月分の学費とボランティアワーク参加費用をすべて収める前も、医療英語のコースを始める前にも再度きちんとこのカウンセラーに
「バンクーバー市内の薬局でボランティアをさせてくれるのなら、ボランティアワーク参加します」
と断っているのである。にも関わらず
「いや~薬局ってなかなかなくてねぇ・・・」
「ノースバンクーバー市(15分フェリーに乗った上、さらにバスで移動。しかもバスの本数が少ない)ならあるんだけど・・・」
などと話をうやむやにし、さらに彼女が「条件が違うじゃないですか?」と反論すると
「ボランティアとはそういうものだ」
とピシャリ。
この一連のやり取りを聞いて、ワタシが思ったのは、このカウンセラー、言葉が足らないのである。
バンクーバーに初めて来た彼女にとって、ボランティアに対する認識の違いを知らないということを分からず、自分の認識がいかにも他人にとっても常識と勘違いしているのだ。
このやり取りの以前に、彼女が
「コミュニティカレッジでこっちの薬剤師補助の資格を取ろうと思って」
といったときにも
「ボランティアワークで充分じゃないか」
と吐き捨てている。このときも「ボランティアワークから就職に繋がるケースもあるんだよ」の一言が足らないのである。医療英語を取っているからといっても、カナダの常識がすべて身についてるわけではないのに、そういう観念はないのだ。
以前、ワタシが文句を言ったときもそうだったが、このカウンセラー、絶対に自分の非を認めず、謝るという行動に出ない。
謝れば済む問題ではないこともあるとは思うが、日本の社会では「謝って丸く収まる」ということも結構多いと思うのである。下手に出ることで相手を尊重してるという敬意を表意すると相手の気分が良くなって、物事が円滑に運ぶケースも多いと思うのだ。
この日本人カウンセラー、いろんな意味で日本人らしい配慮に欠けているのだ。それで日本人相手に商売をしているのである。
彼女に対する言動や行動ももちろんだし、カナダを好きなワタシの目の前で思い切りカナダの悪口をいうのもそうだし、まして生徒を見下し敬語を全く使わないのはいかがなものだろうか?
変なところでカナダナイズされてしまっているのだ。カナダの接客サービスはほんとに日本人からすると信じられないほど悪いと思う。平気で「ワタシ、分からない」と言えてしまうのだからすごいよな。そのあと「ごめんなさいね」の一言が続かない。
日本人はどうでもいいことでも「すみません」とか「申し訳ない」と口癖のように言いすぎなところもあると思うが、北米の人にとっては「謝るのは自分の非を認めた時」という観念が強いように感じる。
しかしこのカウンセラー、よくこの態度で仕事できてるよなぁ・・・。仕事の評価を生徒にもやらせたほうがいいんじゃないのかしら?
日本でボランティアというといわゆる「社会的弱者」にたいする活動のことを指すことがほとんどだと思うが、北米では、普通の仕事場に「ボランティア」として働いてる人がいる。ボランティアといっても仕事の内容は社員と変わらなかったりすることも珍しくないようだ。
ワタシが利用してるエージェントさんでもボランティアの斡旋をしているのだが、驚いたことにボランティアをするのにお金を払うのである。タダで参加できるボランティアもないわけではないが、病院や施設のボランティアの場合、患者や職員と接触することなくひたすら皿洗いとか洗濯、掃除をするということが多いのだそうだ。「ボランティアワーク」=「経験値を積む」とみなされているからなんだと思うが、日本人にとっては考えにくい発想だよな・・・。なんでタダ働きするのにお金払うんじゃ~!とワタシも思ったもん。
さて、以前通っていた医療英語のコースで一緒だった子がボランティアをはじめたのだ。彼女は日本で薬剤師をしていた、とのことで、薬局でボランティアワークをしている。昨日が初日だったらしい。
この医療英語の学校のカウンセラーがクセモノだという話は以前も取り上げたが、彼女もこのボランティアワークを紹介してもらうまでに相当このカウンセラーともめたらしい。
彼女はこの学校に7か月分の学費とボランティアワーク参加費用をすべて収める前も、医療英語のコースを始める前にも再度きちんとこのカウンセラーに
「バンクーバー市内の薬局でボランティアをさせてくれるのなら、ボランティアワーク参加します」
と断っているのである。にも関わらず
「いや~薬局ってなかなかなくてねぇ・・・」
「ノースバンクーバー市(15分フェリーに乗った上、さらにバスで移動。しかもバスの本数が少ない)ならあるんだけど・・・」
などと話をうやむやにし、さらに彼女が「条件が違うじゃないですか?」と反論すると
「ボランティアとはそういうものだ」
とピシャリ。
この一連のやり取りを聞いて、ワタシが思ったのは、このカウンセラー、言葉が足らないのである。
バンクーバーに初めて来た彼女にとって、ボランティアに対する認識の違いを知らないということを分からず、自分の認識がいかにも他人にとっても常識と勘違いしているのだ。
このやり取りの以前に、彼女が
「コミュニティカレッジでこっちの薬剤師補助の資格を取ろうと思って」
といったときにも
「ボランティアワークで充分じゃないか」
と吐き捨てている。このときも「ボランティアワークから就職に繋がるケースもあるんだよ」の一言が足らないのである。医療英語を取っているからといっても、カナダの常識がすべて身についてるわけではないのに、そういう観念はないのだ。
以前、ワタシが文句を言ったときもそうだったが、このカウンセラー、絶対に自分の非を認めず、謝るという行動に出ない。
謝れば済む問題ではないこともあるとは思うが、日本の社会では「謝って丸く収まる」ということも結構多いと思うのである。下手に出ることで相手を尊重してるという敬意を表意すると相手の気分が良くなって、物事が円滑に運ぶケースも多いと思うのだ。
この日本人カウンセラー、いろんな意味で日本人らしい配慮に欠けているのだ。それで日本人相手に商売をしているのである。
彼女に対する言動や行動ももちろんだし、カナダを好きなワタシの目の前で思い切りカナダの悪口をいうのもそうだし、まして生徒を見下し敬語を全く使わないのはいかがなものだろうか?
変なところでカナダナイズされてしまっているのだ。カナダの接客サービスはほんとに日本人からすると信じられないほど悪いと思う。平気で「ワタシ、分からない」と言えてしまうのだからすごいよな。そのあと「ごめんなさいね」の一言が続かない。
日本人はどうでもいいことでも「すみません」とか「申し訳ない」と口癖のように言いすぎなところもあると思うが、北米の人にとっては「謝るのは自分の非を認めた時」という観念が強いように感じる。
しかしこのカウンセラー、よくこの態度で仕事できてるよなぁ・・・。仕事の評価を生徒にもやらせたほうがいいんじゃないのかしら?
by who54211
| 2007-12-16 10:46
| 人間