実害
2012年 02月 23日
*今日の記事は重いので、気分の滅入ってる人にはオススメしません*
今日は、雇用主さんとフィリピーノの子にお願いをして、ごみだしだけして、お休みをもらった。
というかだいぶ前から「22日は一日休みが必要です」と申請してあって、今日のためにワタシはクリスマスイブの日、フィリピーノの子とお休みをトレードしたのだ。
今日のために。
先週まで、今日は裁判の予定だった。
7月に別れた元彼がストーカーになったのだ。
別れることを決意したのは、雇用主さんのところに押し入って雇用主さんを押しのけて家に侵入してきたからだ。
それまでも正常では考えられないような行動が付き合い始めて2ヶ月目ごろからずっと続き、最後のほうは毎日眠らせてもらえず、意味のわからないことで責められつづけて、ほんとに死んでしまおうかと思ったことも一度や二度ではない。
全部ひっくるめて耐えられなくなって、別れたら今度はストーカーである。
信じられない数の電話、メール、FBを通してのメッセージ、勝手に人のFacebookやhotmailアカウントを覗くなど信じられない行動をとられた。
雇用主さんに暴行を働いたときは、雇用主さんだけが警察に届けて、ワタシは届けなかったのだが、あまりにも続くこの行動で、ワタシが疲れてしまい、最終的に警察に過去の経緯を含めてレポートを提出した。使っていた携帯電話も後に証拠として提出。
と、同時に自分自身にがっかりした。こんな物分りの悪い人と付き合っていたのか、と。
その後ワタシは雇用主さんたちと一緒に別荘へ10日間行っていた。フィリピーノの子をバス停に向かえに行ったら
「あ、手紙とバラがあったけど、触ってないから」
といわれた。何のことだ?と思いつつ家に帰ったら...元彼からだった。
当然バラは枯れ果てていた。その場で警察に電話をし、二度目の逮捕(一度目は家宅侵入したとき)。
もちろん手紙の中身は読みもせずそのまま警察官に証拠として渡した。10通近くあったんじゃないのだろうか?
警察にレポートを出してすぐに警察所属の「被害者保護サービス」の人から電話があり、「セーフティプログラム」をいくつか紹介され、そのほかにも身を守るためにいろんなアドバイスをもらった。
不眠症をはじめとする精神的な症状が強く出始め、医者にも通い、警察の被害者保護サービスだけではなく、法的サポートをしてくれるNPO団体と無料カウンセリングをしてくれるサービスも紹介してもらいはじめたのは8月の終わり。
法的サポートのほうは、加害者の心理メカニズムをはじめ、セーフティーユニットプログラム(元彼が住所を変えたりしたらお知らせしてくれるプログラム)や、被害者への公的経済サポートの紹介など、詳しく説明してくれた。ユースワーカーの勉強をしてたときに少し教わったのだが、まさか自分が当事者になる日がくるなんて思ってもみなかった。
カウンセリングは待機リストに載せられて、インターンが面倒を看てくれることになった。
ここで考えてもみなかったハプニングが起こった。
被害者サポートの担当者さんが、元彼の幼馴染だったのだ。もうずっと会ってなかったのだが、やはり知っている人間が加害者ということで、担当者を替わらざるを得ない事態になった。
せっかくいい関係をその人と築き始めてたところで、そんな状況となり、私はさらに落ち込んだ。
厄年って体の変化の大きい時期に訪れるのだが、そんな年にこういう精神的な負担がどさっと降りかかり、睡眠薬と抗欝剤、気持ちを落ち着かせるサプリが手放せなくなった。抗欝剤の量も半錠から一錠、一錠半まで増やされた。
感情のコントロールが難しくなり、突然泣いたり、怒りっぽくなったり、モノやヒトに当り散らすことも多くなり、集中できなくなった。
加えて移民申請が重なり、12指腸潰瘍になった。
仕事をやめなかったのは、経済的にやっていけなくなるからだ。病気が理由の場合、失業保険は出ないこともある。
11月の声を聞いたころに、裁判の予定が決まった。なんと12月28日。
これを聞いて被害者サポートの人をはじめとするいろんな専門家の人が驚いていた。
「普通クリスマスからお正月まではやらないんだけどね」
あわてて雇用主さんとフィリピーノの子と相談し、お休みをトレードすることになったのだ。
そうこうしているうちに裁判所から電話があり、
「(元彼が)弁護士を雇わずに自分で弁護するって言ってるけど、それで大丈夫ですか?」
大丈夫なわけがない。あんな恐怖体験をしたワタシがそんな苦痛に耐えられるわけがない。
「絶対に無理です」
と伝えて電話を切った。
その後、「裁判の日程が延長になった」と被害者サポートの人から電話があり、そのままになっていた。
その間ワタシは夜勤が始まったり、意味不明な仕事が増えたり、移民申請のことが佳境を迎えたりとバタバタバタバタ。もちろん友達が遊びに誘ってくれたり、ボランティアをはじめたり、習い事を始めたりと私生活をなるべく行事で埋めて、考えないようにしても、どうしても頭をよぎる。
「また傷つけられるのか」
正直こんなにしんどい思いをしてカナダで生活していくことに価値が見えなくなって「帰国したい」と思ったことも何度もあった。踏みとどまったのはほかでもなくそこまでの勇気がなかっただけ。帰国の理由をうまく家族に説明できる自信がなかったからだ。
2月に入って、被害者サポートの人から電話があった。
「裁判の日程が22日になったので、事前に裁判所で面接を受けられるようにしましょう」
という。裁判にはワタシは証人として出廷するのだが、裁判の前に面接でCrown Councilという検察にあたる人に事情を話すのだ。被害者サポートの人の話では、裁判前だと十分に時間が取れないので、裁判の日よりも前に面接をしてもらって、足らないところを裁判直前に補ったほうがよい、ということでお願いしていたのだ。
その面接の予定が10日だった。
ところがその前日になってキャンセルになった。理由は「元彼が国選弁護人を解雇し、自分で弁護士を雇う」と言い出したから。
つまりまた裁判の日程が変わる可能性が出てきた。
いい加減ゲンナリした。なんでここまで振り回されないといけないのか?
新たな面接を17日に設定してもらって、とにかく2月中に終わることだけを祈った。
そして2月14日、ボランティアから帰る途中、警察から電話がかかってきた。
「裁判が中止になったので、証拠として預かってた電話をお返しする」
という。
裁判が中止?!
どういうこと???
「詳しいことはまた裁判所のほうから連絡が行くと思うので」
と警察のほうも詳しいことは知らないようだった。
翌日被害者サポートの人から電話があり
「なにがどうなったかわからないけど、裁判は中止になった。今裁判所に問い合わせをしてるところだから、詳細は連絡が取れ次第お知らせする」
という。警察から電話があったことを伝えて、仕事が終わってから電話が入った。
「(元彼)有罪を認めたということで、ピースボンド(ワタシに近づかないという約束)と加害者プログラムに参加すること、保護観察人が付くことで結審した」
とのことだ。
絶句した。
証人としてのワタシは、裁判が開かれた場合、出廷しないと罪になるのだが、加害者の元彼は、ラストミニットでも有罪を認めたら裁判を開かないで済むなんて、不公平だ。
半年も悶々と悩み続けたワタシはいったいなんだったんだ?
しかも今もなお投薬治療もカウンセリングも続いてて、体調不良も続いてるのに?
さらにこのピースボンド、半年しか有効期限がない。
半年後には「近づいてもいい」ということになる。それも恐怖だ。
被害者サポートの人は
「半年以内にアプローチしてきた場合は、すぐに警察に通報するとこの期限が延びるし、クリミナルレコードとして残る」
といいながら
「半年経過した後は、度を越えたアプローチがない限り、通報できない」
とも言った。
結局半年経ったら、ワタシはまたびくびくしながら生活をしなきゃいけないということか?
納得できない。
犯罪を犯したのは元彼で、ワタシじゃないのに、おびえながら生活をするのはワタシなの?
しかもちょっと調べたら、この手の犯罪を犯した人間は、結局繰り返し似たような行為を繰り返すのだそうだ。
加害者プログラムの意味がない。なんのために教育するのだ???
あの恐怖体験は誰にも味わってほしくないのに、この犯罪に対する罰はあまりにも軽すぎる。
そしてワタシの意見は直接裁判関係者に届くことはなく、数枚のレポートを提出したことで終わった。しかも元彼もそのレポートを読んでいる。
裁判所が出したピースボンドの条件に、ワタシに対して謝罪の手紙を書きなさい、というものがあったが、ワタシは被害者支援の人を通して、裁判所に
「読む気は毛頭ありません」
という旨を伝えてもらった。表面上取り繕うことなんていくらでもできる。少しの間しか付き合ってはいなかったが、この人はそういう人だ。
そして後でいろんな人に被害者ぶってワタシの悪口を言うのだ。
付き合ってるときに何度も聞いた。
「あなたは昨日まで『Buddy』と呼んでた人間を翌日平気で『Son of the bitch』というけど、そんな風にしか他人と付き合えないのか?」
と。答えはいつも
「だってあいつが悪い」
の一点張りだ。きっとワタシのこともそういって触れてるんだろう。
もう二度と会うこともないし、元彼の関係者とも会うこともないだろうから、ワタシの耳には届かないだろうけど。それでもそうやってるだろうと想像するだけで哀しい。
人間は間違いを犯すものだ。
でも間違いは間違いとして受け入れないといけない。
言い訳ばかりを繰り返していても絶対に成長できない。
ワタシがずっとこの裁判を含めた一連の事件のことにここで触れなかったのは、いったんの決着を見ないうちに記事にしたら、自分を擁護する文面になるだろうと思ったからだ。この記事も自己擁護傾向にあるけども。
ワタシ自身、友達の忠告も聞かずにこの人と付き合って、なかなか離れることができなかったという責任があるのは重々承知している。
だから「ワタシは悪くない」というつもりはない。
周りに慰めてほしいのか、励ましてほしいのか、それとも叱責してほしいのかそれもわからない。
これからもまだPTSDをはじめとしたいろいろな心身状態に悩まされる日々が続くだろうと思う。
すこしずつ回復はしていくとは思うが、特に精神問題については長い戦いになるだろうと思う。
正直、そんな長い戦いやっていけるかどうか、自信がない。
支援してくれる人がどれだけいても、こればかりは自分で向き合っていかなきゃいけない。
この記事を読んだらワタシにがっかりする人もいるだろう。
その程度のオンナだったのかと思うだろう。
それも仕方のないことだ。
いつかこのことが笑って話せるようになるといいなと思いつつ、自分の状況と戦っていこうと思う。
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今日は、雇用主さんとフィリピーノの子にお願いをして、ごみだしだけして、お休みをもらった。
というかだいぶ前から「22日は一日休みが必要です」と申請してあって、今日のためにワタシはクリスマスイブの日、フィリピーノの子とお休みをトレードしたのだ。
今日のために。
先週まで、今日は裁判の予定だった。
7月に別れた元彼がストーカーになったのだ。
別れることを決意したのは、雇用主さんのところに押し入って雇用主さんを押しのけて家に侵入してきたからだ。
それまでも正常では考えられないような行動が付き合い始めて2ヶ月目ごろからずっと続き、最後のほうは毎日眠らせてもらえず、意味のわからないことで責められつづけて、ほんとに死んでしまおうかと思ったことも一度や二度ではない。
全部ひっくるめて耐えられなくなって、別れたら今度はストーカーである。
信じられない数の電話、メール、FBを通してのメッセージ、勝手に人のFacebookやhotmailアカウントを覗くなど信じられない行動をとられた。
雇用主さんに暴行を働いたときは、雇用主さんだけが警察に届けて、ワタシは届けなかったのだが、あまりにも続くこの行動で、ワタシが疲れてしまい、最終的に警察に過去の経緯を含めてレポートを提出した。使っていた携帯電話も後に証拠として提出。
と、同時に自分自身にがっかりした。こんな物分りの悪い人と付き合っていたのか、と。
その後ワタシは雇用主さんたちと一緒に別荘へ10日間行っていた。フィリピーノの子をバス停に向かえに行ったら
「あ、手紙とバラがあったけど、触ってないから」
といわれた。何のことだ?と思いつつ家に帰ったら...元彼からだった。
当然バラは枯れ果てていた。その場で警察に電話をし、二度目の逮捕(一度目は家宅侵入したとき)。
もちろん手紙の中身は読みもせずそのまま警察官に証拠として渡した。10通近くあったんじゃないのだろうか?
警察にレポートを出してすぐに警察所属の「被害者保護サービス」の人から電話があり、「セーフティプログラム」をいくつか紹介され、そのほかにも身を守るためにいろんなアドバイスをもらった。
不眠症をはじめとする精神的な症状が強く出始め、医者にも通い、警察の被害者保護サービスだけではなく、法的サポートをしてくれるNPO団体と無料カウンセリングをしてくれるサービスも紹介してもらいはじめたのは8月の終わり。
法的サポートのほうは、加害者の心理メカニズムをはじめ、セーフティーユニットプログラム(元彼が住所を変えたりしたらお知らせしてくれるプログラム)や、被害者への公的経済サポートの紹介など、詳しく説明してくれた。ユースワーカーの勉強をしてたときに少し教わったのだが、まさか自分が当事者になる日がくるなんて思ってもみなかった。
カウンセリングは待機リストに載せられて、インターンが面倒を看てくれることになった。
ここで考えてもみなかったハプニングが起こった。
被害者サポートの担当者さんが、元彼の幼馴染だったのだ。もうずっと会ってなかったのだが、やはり知っている人間が加害者ということで、担当者を替わらざるを得ない事態になった。
せっかくいい関係をその人と築き始めてたところで、そんな状況となり、私はさらに落ち込んだ。
厄年って体の変化の大きい時期に訪れるのだが、そんな年にこういう精神的な負担がどさっと降りかかり、睡眠薬と抗欝剤、気持ちを落ち着かせるサプリが手放せなくなった。抗欝剤の量も半錠から一錠、一錠半まで増やされた。
感情のコントロールが難しくなり、突然泣いたり、怒りっぽくなったり、モノやヒトに当り散らすことも多くなり、集中できなくなった。
加えて移民申請が重なり、12指腸潰瘍になった。
仕事をやめなかったのは、経済的にやっていけなくなるからだ。病気が理由の場合、失業保険は出ないこともある。
11月の声を聞いたころに、裁判の予定が決まった。なんと12月28日。
これを聞いて被害者サポートの人をはじめとするいろんな専門家の人が驚いていた。
「普通クリスマスからお正月まではやらないんだけどね」
あわてて雇用主さんとフィリピーノの子と相談し、お休みをトレードすることになったのだ。
そうこうしているうちに裁判所から電話があり、
「(元彼が)弁護士を雇わずに自分で弁護するって言ってるけど、それで大丈夫ですか?」
大丈夫なわけがない。あんな恐怖体験をしたワタシがそんな苦痛に耐えられるわけがない。
「絶対に無理です」
と伝えて電話を切った。
その後、「裁判の日程が延長になった」と被害者サポートの人から電話があり、そのままになっていた。
その間ワタシは夜勤が始まったり、意味不明な仕事が増えたり、移民申請のことが佳境を迎えたりとバタバタバタバタ。もちろん友達が遊びに誘ってくれたり、ボランティアをはじめたり、習い事を始めたりと私生活をなるべく行事で埋めて、考えないようにしても、どうしても頭をよぎる。
「また傷つけられるのか」
正直こんなにしんどい思いをしてカナダで生活していくことに価値が見えなくなって「帰国したい」と思ったことも何度もあった。踏みとどまったのはほかでもなくそこまでの勇気がなかっただけ。帰国の理由をうまく家族に説明できる自信がなかったからだ。
2月に入って、被害者サポートの人から電話があった。
「裁判の日程が22日になったので、事前に裁判所で面接を受けられるようにしましょう」
という。裁判にはワタシは証人として出廷するのだが、裁判の前に面接でCrown Councilという検察にあたる人に事情を話すのだ。被害者サポートの人の話では、裁判前だと十分に時間が取れないので、裁判の日よりも前に面接をしてもらって、足らないところを裁判直前に補ったほうがよい、ということでお願いしていたのだ。
その面接の予定が10日だった。
ところがその前日になってキャンセルになった。理由は「元彼が国選弁護人を解雇し、自分で弁護士を雇う」と言い出したから。
つまりまた裁判の日程が変わる可能性が出てきた。
いい加減ゲンナリした。なんでここまで振り回されないといけないのか?
新たな面接を17日に設定してもらって、とにかく2月中に終わることだけを祈った。
そして2月14日、ボランティアから帰る途中、警察から電話がかかってきた。
「裁判が中止になったので、証拠として預かってた電話をお返しする」
という。
裁判が中止?!
どういうこと???
「詳しいことはまた裁判所のほうから連絡が行くと思うので」
と警察のほうも詳しいことは知らないようだった。
翌日被害者サポートの人から電話があり
「なにがどうなったかわからないけど、裁判は中止になった。今裁判所に問い合わせをしてるところだから、詳細は連絡が取れ次第お知らせする」
という。警察から電話があったことを伝えて、仕事が終わってから電話が入った。
「(元彼)有罪を認めたということで、ピースボンド(ワタシに近づかないという約束)と加害者プログラムに参加すること、保護観察人が付くことで結審した」
とのことだ。
絶句した。
証人としてのワタシは、裁判が開かれた場合、出廷しないと罪になるのだが、加害者の元彼は、ラストミニットでも有罪を認めたら裁判を開かないで済むなんて、不公平だ。
半年も悶々と悩み続けたワタシはいったいなんだったんだ?
しかも今もなお投薬治療もカウンセリングも続いてて、体調不良も続いてるのに?
さらにこのピースボンド、半年しか有効期限がない。
半年後には「近づいてもいい」ということになる。それも恐怖だ。
被害者サポートの人は
「半年以内にアプローチしてきた場合は、すぐに警察に通報するとこの期限が延びるし、クリミナルレコードとして残る」
といいながら
「半年経過した後は、度を越えたアプローチがない限り、通報できない」
とも言った。
結局半年経ったら、ワタシはまたびくびくしながら生活をしなきゃいけないということか?
納得できない。
犯罪を犯したのは元彼で、ワタシじゃないのに、おびえながら生活をするのはワタシなの?
しかもちょっと調べたら、この手の犯罪を犯した人間は、結局繰り返し似たような行為を繰り返すのだそうだ。
加害者プログラムの意味がない。なんのために教育するのだ???
あの恐怖体験は誰にも味わってほしくないのに、この犯罪に対する罰はあまりにも軽すぎる。
そしてワタシの意見は直接裁判関係者に届くことはなく、数枚のレポートを提出したことで終わった。しかも元彼もそのレポートを読んでいる。
裁判所が出したピースボンドの条件に、ワタシに対して謝罪の手紙を書きなさい、というものがあったが、ワタシは被害者支援の人を通して、裁判所に
「読む気は毛頭ありません」
という旨を伝えてもらった。表面上取り繕うことなんていくらでもできる。少しの間しか付き合ってはいなかったが、この人はそういう人だ。
そして後でいろんな人に被害者ぶってワタシの悪口を言うのだ。
付き合ってるときに何度も聞いた。
「あなたは昨日まで『Buddy』と呼んでた人間を翌日平気で『Son of the bitch』というけど、そんな風にしか他人と付き合えないのか?」
と。答えはいつも
「だってあいつが悪い」
の一点張りだ。きっとワタシのこともそういって触れてるんだろう。
もう二度と会うこともないし、元彼の関係者とも会うこともないだろうから、ワタシの耳には届かないだろうけど。それでもそうやってるだろうと想像するだけで哀しい。
人間は間違いを犯すものだ。
でも間違いは間違いとして受け入れないといけない。
言い訳ばかりを繰り返していても絶対に成長できない。
ワタシがずっとこの裁判を含めた一連の事件のことにここで触れなかったのは、いったんの決着を見ないうちに記事にしたら、自分を擁護する文面になるだろうと思ったからだ。この記事も自己擁護傾向にあるけども。
ワタシ自身、友達の忠告も聞かずにこの人と付き合って、なかなか離れることができなかったという責任があるのは重々承知している。
だから「ワタシは悪くない」というつもりはない。
周りに慰めてほしいのか、励ましてほしいのか、それとも叱責してほしいのかそれもわからない。
これからもまだPTSDをはじめとしたいろいろな心身状態に悩まされる日々が続くだろうと思う。
すこしずつ回復はしていくとは思うが、特に精神問題については長い戦いになるだろうと思う。
正直、そんな長い戦いやっていけるかどうか、自信がない。
支援してくれる人がどれだけいても、こればかりは自分で向き合っていかなきゃいけない。
この記事を読んだらワタシにがっかりする人もいるだろう。
その程度のオンナだったのかと思うだろう。
それも仕方のないことだ。
いつかこのことが笑って話せるようになるといいなと思いつつ、自分の状況と戦っていこうと思う。
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by who54211
| 2012-02-23 09:17
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