タイトルは常に漢字二文字にこだわっただけの日記。  *広告目的のコメントはwho54211の判断により消去・ブロックさせていただきますのであしからず*


by who54211

異国

ESLに通っていたときは「なんでこんなに日本人に溢れてるんだろう・・・」と思っていたのだが、新しい学校はワタシ以外カナディアンである。
そのうちの一人はファーストネーションで、彼女以外は白人だ。

すごい環境だ・・・。まず日本では考えられない。

小学校のときに転校した時のことを思い出した。そのときもものすごいギャップを感じたけども、今回はそれ以上だ。毎日毎日彼らの英語にくっついていくのに必死である。

医療英語を学んでいたときに「カナダで育った子供は沈黙が嫌い」と教わったが、まさにその通りで、授業中、静かになったためしがない。日本と違って先生がいろいろ説明してる最中でも容赦なく自分の意見をぶつけていく。特に今はCYCWのコースの中にいるので、たくさんのディスカッションをしているのだが・・・当然だけどついていけてない。話を振られないとしゃべれないという状況にある。

・・・いかんのう・・・。

と思ってるだけではしょうがないのだが、できないことはできないので、正直にそれは先生に言っておいた。「自分の中で消化するのに時間もかかるし、意見をまとめるのにもある程度翻訳の時間が必要だ」と。

まぁしょうがないよな・・・そのうち慣れる日が来るのだろうか?

バンクーバーはあまりにも留学生に親切な国なので、海外に来た気がしないという日本人がいるが、どこの国を訪れても、やっぱりそこは母国とは違うのだ。新しいプログラムに来てそれが身に凍みている。「ディスカッション」に慣れていて、自分の意見を主張することにたじろかないカナディアンを目の当たりにして改めて自分が日本人であることを自覚している。

今、取り組んでいるタームはまさにカナダを象徴する「マルチカルチャリズム」だから余計にそう思うのかもしれない。

以前にこのブログでも「チャードルを着た女の子が柔道の大会に参加できなかった」という話をしたが、それはこの国では大きな問題になる。なぜならばこの国は移民を受け入れ、その移民のバッググラウンドもすべて受け入れているからだ。アメリカやオーストラリアも同様に移民を受け入れているが、カナダほど寛容には受け入れていない。例えば、カナダの警察には、ターバンの形をした警察帽が存在するが、アメリカにはこの発想はない。普通の警察帽をかぶらないというならば、警察官にはなれないらしい。

日本はまず外国人が日本人になること自体が困難なので、こういう問題が起きる前に障害が立ちはだかっているが、実際にこういうことが起きたらどうやって対処するのだろうか?

移民に寛容、とはいえ、すべてにおいて寛容なわけではない。ワタシも対面している問題でもあるが、母国の資格を生かした仕事にすぐ就けることはほとんどない。これは発展途上国出身の人たちからするとほんとに大きなギャップで、母国で医者だった人がカナダでタクシードライバーなんてことはザラにある。移民権を持っていてもである。

豊な暮らしを求めて移民したはずなのに、母国にいたときよりも働かないといけないわけだ。(もちろんこれは母国の資格制度がどの程度世界で認識されているかにもよる。看護師さんなんかは英語の試験と研修だけだしね)

さて、日本で生まれ育ったワタシには、この「マルチカルチャリズム」に対する認識が非常に浅い。各国の文化的背景はおおよそ把握することはできるのだが、いわゆる「言っちゃいけない」ことに対する意識が薄いのだ。

「だってあの人、○○人だから」「○○出身だから」

これは完全にアウトである。偏見を持ってる証拠になってしまう。

思い込みや先入観を持って他人と接触してはいけないのだ。個人を個々に捉えないといけないのである。

これ、日本でもがんばってやろうとしてたけど、教育や環境とは恐ろしいもので、先入観って知らない間に完全に植えつけられているのだ。それは人種に対してでもあり、職業に対してでもあり、性別ですら自分の中には完全な偏見が満ちていた。

多かれ少なかれこの問題は海外生活をしていると体験することになると思う。逆に自分がその対象になることも多い。これは実際にワタシが言ってしまった一言だが「日本人なのに折鶴が作れないの?」とESLに通っていたときに暴言した覚えがある。カナダ、特にトロントやバンクーバーのようなダイバーシティで育った子供にはこういう発想がほとんどない。逆に第一世代という移民してきた親たちのほうが自分達のバッググラウンドにひきずられてしまうことが多いらしい。

英語以外にも知っておかないといけないことに溢れている・・・。こりゃ大変だな、今後・・・。
大丈夫なんだろうか?ワタシ・・・。このプログラムの中で生き残っていけるのかしら?
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Commented by Aki at 2007-12-08 11:29 x
私の中にも偏見がいっぱい。

自分がとても恵まれた環境の中で生きて来た証拠だな。
偏見の目で見られて苦しんで生きてきた側だったら
自分は他人を偏見の目では見ないだろうから。

思いやりと感謝はどんな時にも忘れちゃいけないね。
私も気をつけます。
Commented by mihoguma at 2007-12-08 13:10 x
うーん、「偏見」と「見識不足」は表裏一体だからねぇ、ひたすらいろんなことを深く分析して表層に現れないものを見出す努力が必要なんだろうね。なんかワタシも思い当たることがあったから日記に書いて見るわ~。
厳しい条件は最初はつらいけど、ふうさんは順応性は高いから、きっと「知らないうちに」なれてしまっているはず。また、逆に「相手の話をよく聞いてじっくり答えを返す」という態度は大切なので、そんなに周囲に引きずられなくってもそれはそれで個性だし。
KEEP IT UP!
Commented by who54211 at 2007-12-09 13:49
>Akiさま
教育や環境ってほんとに影響力大だからねぇ、自分が対象になろうがなるまいが、そこに偏見があるってことを認識しないといけないのだが、なかなかそれは難しいところだと思う。
例えば良い偏見だったら気にならないけど、悪い偏見ってどうしても印象に残っちゃうのよね。それがずっとトラウマになってる人がたくさんいることを理解しなくちゃいけないのだが、大して悪いイメージをもたれない日本人には難しいのだよ。

とにかくいろんな方面に目を向けないといけないということだけはよく分かった気がする。するだけだけどw。
Commented by who54211 at 2007-12-09 13:53
>mihogumaさま
知らないってほんとに怖いことです。「無知の知」という言葉がありますが、知らないときは知らない、分からないときには分からないという勇気が必要ですね。
こういう完全な外国環境を望んでいた割りに、実際にその中に放り込まれるとしり込みしておりますw。だめっすね。幸いなことに先生を含めてみんなほんっとにイイヒトたちなので、助けられてます。いつか対等とまでいかなくても、そこそこでいいのでディスカッションできるようになれればなぁと思ってますが・・・。道のりは長そうです。井の中の蛙だということを認識してます。
by who54211 | 2007-12-08 10:17 | 関心 | Comments(4)